幼い頃、周りの子に比べて一回り大きい身体だった。
元気で活発な女の子というイメージが強かったと思う。
イメージ通りにならないといけないと勝手に思い込んで、
「元気だけが取り柄です!」と自己紹介していた。
鍼灸師になった私の目線で幼い頃の私を見た時、
無理をしている女の子と判断するだろう。
腹痛が多かった。便秘が多く、排便に時間がかかっていった。
風邪も引きやすく、すぐに薬を飲んでいた。
ガッチリした身体つきだからといって、元気というわけではない。
もちろん、ある程度は外側に出る。
肌の質・色味、気の流れ、声の質量、におい、動き方…
子どもは特に素直で表に出やすい。
親たちは強くたくましく育って欲しいという想いが強い。
地域性もあり、雪国では寒さに耐え忍ぶ為、
弱さを否定する傾向が強い。
あくまで私の勝手な考えなので鵜呑みにはしないで欲しい。
弱くてはいけないのだと私は思い込んでいた。
親は私の弱さを指摘することが多いと感じた
「あなたには無理。あなたにはできない。」
なにくそ〜!!という気持ちでできないと
思われていることを果敢に挑戦した。
20歳から社会人として働き始めた。
自分の思い通りに身体が動かなくて、当時の日記には
「ダメ人間!何でできないんだよ!」
自分を責める言葉ばかりが綴られている。
できたい!できる人間になりたい!
そういう思いで仕事をしては身体を壊した。
身体がすぐ怠くなるので、サボりたい!やりたくない!
そういう気持ちも出ていた。
自分の心と身体がはちゃめちゃでバランスが取れていなかった。
鍼灸の専門学校に行って、初めて鍼灸治療を受けた。
それまではリラクゼーションに通って、心身を癒していたが、
ここで初めて自分の身体がどういう身体なのか教えてもらった。
身体はそんなに強くなかった。
心身一如(しんしんいちにょ)
身心一如(しんじんいちにょ)
仏教で、肉体と精神は一体のもので、分けることができず、一つのものの両面であるということ。▽「身心」はからだと心。「心身」とも書く。「一如」は真理はただ一つである意。「一」は不二、「如」は不異の意。異ならないこと。「心」は「しん」とも読む。
goo辞書参照
身体が強くなければ心も強くない。
強くなければならないと育てられてきて、
あまり強くない自分にがっかりした。
「メンタル弱い」は友達やいろんな人に言われてきた。
そろそろ認めざる負えないのか・・・
でも、目の前のことはやらないと前に進まず、
身体は鍼灸師の先生にお任せした。
同時に身体の勉強もしていき、
このとき身体との向き合いが大分できてきていた。
お次はメンタルだ。
なにをどう取ってもメンタルありきだ。
スポーツはわかりやすくメンタル。
ビジネスもメンタル。
切っても切り離せないメンタル。
メンタルに関してはメンタルの構築が
しっかりなされてる方に教わった方がいい。
私は、何かを習得したい時は必死こいて探す。
妥協はしない。探して探して、調べ倒す。
これは誰もがする行動であるかもしれないが、
ある程度心身が整っていないと、
間違ったものを引くこともある。
心身が著しく壊れている時に、メンターを探しがちだが、
家族の元で癒し、治療で身体にアプローチをかけ整えてから
探した方が間違いにくいと思う。
全ては自分の選択によってここまできているのだから、誰のせいでもない。
誰かのせいにしている以上、自分を生きることは難しい。
だからと言って私のように自分を責め続けても苦しいだけだ。
私はここ数年でメンターを選び学んで、
少しづつだが大分心身を整えるのが
簡単になってきている。
何事も深すぎるが、実はとてもシンプル。
今までは弱い自分を責めて生きてきたが、
ある程度受け入れている。
私にできることもあれば、できないこともあって、
できないことに着目することはやめた。
そこはポンコツ。
ポンコツ人間でいい。
できることに着目した時、どんなに生きやすいか。
気づくととてもシンプルで幸せしかない。